新辛口批評 別冊 宮水の話業界にはこびる乞食ライター諸氏の無断引用禁止 笑)
 
【馬や鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 その@】
                 (2006年9月22日〜)
 
 ずっと前、一昨年(2004年)暮に、静岡の酒関連の情報では世界一の内容を誇るHPで知られる清水さんから、当時の新刊でとんでもない記述があることの知らせを受けた。その愚書によれば、
 『しかし、高度経済成長の時代を迎え、灘の地もごたぶんにもれず宅地開発や高速道路の建設が進み、少しずつ宮水の水質も変化するようになってしまいました。そこに、追い打ちをかけるように@阪神大震災(1995年)が発生し、宮水は壊滅的な打撃を受けたのです。
 A現在、宮水のほとんどが使用不能となっており、使われていないのが現状です。しかし、B前記したように灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです。』(番号は鮭野が挿入)
 とのことである。その害書は、蝶谷初男著「うまい日本酒に会いたい! そのために知っておきたい100問100答」(ポプラ社)である。
 名は体をあらわす。単純馬鹿を通り過ぎて、ほ乳類ではない、昆虫レベルの脳味噌しか保有していないと思われる著者のこの記述についてはさすがにあきれ、清水氏には近く、私なりに知っていることをきちんとまとめる、とお伝えしたが、私自身の怠慢さから、この件についてとりあげるのをすっかり忘れていた(すっかり放置してある森伊蔵の件もそろそろお願いします……編集者記)。
 まあ、まともな人ならばこうした記述を真に受けることはないだろうし、と安易に放置していたのであるが、故・穂積忠彦氏の言葉を借りれば、「学問的にも歴史的にも明らかに間違っていても、自分だけの思いこみで、堂々と本になってしまうと、それを読んだ人々はつい本当のことに思ってしまう」「本来ならばあまりの物知らずの馬鹿馬鹿しさに笑い飛ばすか、無視すればよいのだが、ウソも何度か繰り替えされると本当に思う人も出てくる」し、実際、信じてしまう馬鹿もいる。一寸前に読んでびっくりしたのが、Wiki pedia の執筆者がどうも鵜呑みにしているようだ(というか、きちんとした資料に当たってからものを書け、といいたい)。そこで、おくればせながら、私が知っていることを、馬とか鹿といったほ乳類には最低限わかるレベル(蝶谷、いや蝶……といった昆虫レベルの方にはわからないかもしれない)でこれから記したいと思う。
 まずは、宮水について、ごく基本的な認識。その歴史的な経緯について、ネット上で公開されているものとしては、寺岡武彦氏の論考(宮水の沿革@A)がもっとも正確かつ詳しいのでそちらを参照していただきたいが、その論考で触れられていないことも含め、とりあえず以下の3点確認しておきたい。
 
 1 現在の宮水は、第三次宮水地帯に位置する。
 2 宮水は、ごくおおまかにいえば、山手からの3系統の伏流水(戎、馬場町、法安寺伏流水)と、海側からの地下水が、ごくかぎられた一角で出会い、まざりあっている。
 3 宮水は深さ5メートル程度までの浅井戸から採取される。
 
 さて、まずは蝶谷氏の記述について、少し考えればわかること。蝶谷氏は、A「現在、ほとんど使用不能となっており、使われていないのが現状です」と述べておられるが、1平方`に満たないきわめて限定された地域の、帯水層が同一で、しかもその経由がはっきりしている浅井戸で、ごく一部だけが使用可能になっているなど、まずはありえないことは少し考えていただければわかるだろう。同じ一帯で、複数の深さの井戸があり、片方が使えないという事例は結構存在するのだが、宮水の場合、そうした事例とは性格が全くことなるのである。また、@において「阪神大震災において、壊滅的な打撃を受けた」とあるが、これは全くの嘘。たとえば、菊正宗のHPで述べられているように、大震災の際に断水してしまった西宮地区で、奇跡的に影響の無かった宮水が大活躍したことは、いろいろな所で触れられている(この件については、また後で触れたい)。余談であるが、地震からかなり後の、2000年だったか(震災のかなり後)、某所で「軟水と硬水」というテーマで試飲会を行ったときに、「白鷹」のご厚意で当日、わざわざ井戸から汲み上げ、京都まで宮水を運んでいただき、出席者一同、硬水である宮水を飲んで灘の生一本についての理解を深めたことがある。また、B「灘の看板、またプライドの中に宮水はしっかりと根を生やしているため、口が裂けても宮水はダメになったとはいえず、対外的には今も使っていると表明しているのです」としているが、表明しているのではなく、現在も宮水は使っているから、自社製品のうち、特に使用している商品について、必要に応じて表示しているのである。もし私の言うことが嘘だと思うのならば、個別の商品について、蝶谷氏にやって欲しいのだが(もちろん、あとでどうなるかは知らない)。
 ただし、「盗人にも三分の理」という言葉がある。馬や鹿を超越した、昆虫レベルの脳味噌しか持たぬような御仁の発言にも、一厘の理くらいはある場合がまれに存在することは認める必要がある。なぜ、そのような妄説が流布されてしまうことについて、次回から述べたい。
 
【馬や鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのA】
 
 阪神の西宮駅を下車し、南の方に歩みを奨めよう。方角的に右手、すなわち西の方向に向かえば、まもなく宮水まつりがある西宮神社があるが、意識して左手、すなわち東の方角に足が向くようにすれば、阪神高速にぶちあたるあたりで、さらに左手に宮水地帯が広がる。
 国道を渡ると、そこは宮水地帯である。大手、中小、さまざまな蔵の宮水井戸がそこかしこに点在する。仕込みのシーズンで、タイミングさえあえば、そうした敷地のそばにタンクローリー車がとまって、怪しげに水を詰め込む作業を見ることが出来るだろう。場合によっては、廃業した蔵の宮水井戸の後が駐車場になっている光景を目にすることになる。そこであなたは、一つの発見をするだろう。「なぜ、このあたりの建物は、高くないのだろう?」
 その理由は、先に述べたことを思い浮かべれば氷解する。宮水は浅井戸から採取される、土台を深く打ち込めば、井戸にすぐに影響が出てしまう。高い建物を建てるために、土台を深く打ち込むことが許されていないのである。廃業した蔵の宮水井戸の跡地が、高層マンションではなく、のきなみ駐車場になっていることも、このことから分かっていただけると思う。さまざまな規制があり、せいぜい二階建て程度の家か、駐車場くらいにしか、現在のところ宮水地帯の土地活用法はないのである。もし宮水が生きていないならば、そうした配慮は不要である。換言すれば、かような現状が宮水が生きていることを意味することに他ならない(昆虫にでもわかるような説明をしましたが、蝶谷さん、もし理解できないのであればメールを下さい)。
 宮水の調査は、第一次大戦後から本格的になされるようになった。大戦後に酒の消費量が激増し、つまりは灘酒の造石高の増加にしたがい、醸造期の末期になると井戸水が枯渇するようになった。また、成分バランスも変化し、過剰吸水の影響で塩素イオンの増加(海からの浸透水の影響)と、有機物の検出(地表に近いため、どうしても生活の影響を受けやすい)などが問題となったのである。余談であるが、現在、宮水は一般の方がふらりと訪れても、まず口にすることは出来ない。それはどうしても浅い井戸水であるため、生活の影響を受けて微量の有機物が検出されやすい傾向にある。生水に対しての保健所の規制もものすごくうるさいため、まず一般の人が生で口にすることは難しいと思われる。そうした背景のもと、宮水保存調査会が1925年に発足(当時はまだ第二次宮水地帯)し、研究が進められた。
 その研究の成果の一つとして、皆さんがああなるほどと納得していただけると思っていただけるのは阪神高速の高架工事である。橋脚の間隔の長さを、宮水への影響を最小限にするために、当時としては一番長い87メートルに設定し、さらに阪神高速が結果として宮水の遮水壁にならぬように基礎を浅くした。西宮付近の倒壊の遠因ともいわれるが、まあ想定以上の地震が発生したからだということにしておく。
 現在、宮水が使用される場合には、ほとんどのところで一応濾鉄処理他が行われているはずである。阪神高速の復旧の際のことはよくしらないが、それよりも上流部で、震災後のどさくさにまぎれて何が行われているかわからないからである。なにもせずに使用すると、上流の水源の、なにかしらの土台で打ち込んだ鉄骨から微量の鉄分が流出しているかもしれず、そうした事例については、あくまでも自衛で臨まなければいけないからである。
 宮水だが、生で飲むとそれなりに味わいがある。ただし、お茶にいれると駄目とのことである。「宮水コーヒー」を出す店があり、その味わいについては賛否両論であるが、安い、日本の水で入れてもまずいとしかいいようのないMJBのコーヒー粉を、宮水を使用して以前コーヒーを入れてみたところ、チープで雑な味のコーヒーが結構まろやかな味わいになったことをここに報告しておこう。
 
追記 この項目は過去に見聞きした知識をもとにものしており、どこからの引用か正直よくわからないのであえて示さないが、そのAからの執筆の際には、以下の書物を特に参考にしたことを付記しておきたい。
 ・『宮水物語』(読売新聞阪神支局編 中外書房 1966年)
 ・「酒の町西宮」(西宮青年会議所広報委員会編 西宮青年会議所 1982年)
 
【馬や鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのB】
 
 ところで、どこの馬や鹿を通り越した昆虫が書いたかわからないのでまず信用してはいけない、Wiki pediaにて、「阪神大震災によって壊滅的な打撃を受けた。活断層のずれによって水脈は破壊された」というとんでもない記述をまだ信じている人がいるかもしれないので一言。活断層がずれたことによって、どのように水脈が破壊されたのか、宮水の北川の水脈がどのようなルートをたどっているかちと考えて欲しい。宮水は淺井戸であることも考えれば、水脈が破壊されたならば、地震後にとても使用できなかったはずであろう。地震関連でつけくわえるならば、地下水の水位の異常は、その直前に存在した(このことは未発表と思われる。ラドン濃度の変化については、田阪氏のHPを参照)。さらにだめおしだが、日本醸造協会雑誌の91巻6号に、「灘五郷酒造組合で実務にタッチされ、一番身近で状況を把握されていた」とされる山口和彦氏が「阪神・淡路大震災、そして今」という報告にて、次のように記されている。
 このような震災直後の現場において、地域住民に「宮水」をタンクローリーで給水したり、無事に残った蔵を避難所として、近隣の住民に開放した企業があった(393頁)。
 このような(絶望的な被災状況の)中で、唯一の光明は、酒造りの生命とも言える「宮水」井戸のすべてが、水脈、、水釜、水質とも何ら従前と変わりなくたすかったことである。(中略)しかし、水道の復旧が相当遅れたため、宮水をタンクローリーで運搬しながらという手間暇かかる状態が、長く続いた(394頁)。
 
 なお、山口氏は、最後に95年に開催された「宮水まつり」での委員長挨拶(辰馬寛男氏。白鷹の先代。私も少しお世話になった)を。「灘五郷の酒造の心意気を如実に示していると思われるので、ここに掲載させていただくことにした」と、次のように引いている。
 我々酒造家は、大震災によって建物や醸造機器に甚大な被害を受けたが、宮水に影響がでていないか非常に心配した。建物や機械は、金を使えば元に戻るが、宮水はそういうわけにはいかない。幸い、調査の結果、宮水には水質、水脈とも全く影響が出ておらず、これは神のご加護である。一日も早く酒蔵を復興し、西宮の活性化に力を合わせて取り組んでいくことをここに誓いたい」。
 
 酒造家として、厳しい状況だが、天与の名水が残されていたことに感謝し、今後の酒造りに謙虚に臨もうという姿勢がひしひしと感じられる。中越地震の発生日を自社製品の記念日として決意を新たにした恥ずかしい会社との違いを、読者の皆さんは心に留めてほしい。
 
【馬や鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのC】 10月10日記
 
 しばらく更新を休んでいたが、そろそろまとめる方向に。まずはWiki Pedia であるが、私のHPを見た善意あるどなたかが、9月24に修正を入れたようである。ただ、現在の版「歴史」の項目は、初期の原稿がきちんと資料に基づいてかかれていなかったため、不正確である。まずはその点から指摘しておこう。私が目にしている現在の版では、
 
 しかし昭和時代中期以降、高度経済成長の時代を迎え、西宮は阪神工業地帯の真っ只中に置かれ、しだいに宮水の水脈も汚染されていった。水質の汚濁が、この時期の何回かの調査でわかっている。
 
とあるが、生活の影響による宮水の汚染が問題となったはじまりは、そのAでも触れたように、第一次大戦後の大正期からである。経済成長による酒造量の増加の影響などで、酒造期末になると井戸水が枯渇、変質するようになった。民家の防火、そして水質の変化による保健衛生上の問題が生じ、当時辰馬(白鹿)、八馬(多聞)両家が工事費用として80万円寄付し、上水道を整備した。昭和30年代は、西宮南部の工場地帯における過剰揚水の影響で地盤沈下が発生したり、井戸が枯れかけたりするなどの影響があり、さらに西宮港沖を埋め立てて日本最大の石油コンビナートを誘致する計画がもちあがった。海を深く掘り下げると、海水圧が変化し、地下に浸透する水のバランスも変化する。明治の末に西宮港の修築工事により、井戸水に塩素が増えてしまい、結果として宮水地帯を北に移したという事例が過去にある。その教訓を活かすべく、沖合を埋め立てると埋め立てると大気汚染の問題も絡め、計画を断念させたということもあった。 Wiki の記述をそのまま読むと、工業化の影響で、いろいろ化学物質に汚染されたととられかねないので、まずはコメントしておく。 さらに、
 
震災後の復興の一環として、いくつかの醸造メーカーや酒蔵によって、昔の宮水と同じ味を持つ水脈をさらに地中深くから探索・掘削するなどして、かつての灘の酒の味を復元する努力と試みがなされている。
 
とあるが、これは意味不明。現在、複数の伏流水が混じり合う、宮水地帯から汲み上げられる宮水は天然記念物的存在であり、多少性格が類似したならばともかく、同じ味を持つ(表現として使うならばまだしも「成分」だろ)水脈などいくら深く掘っても存在しないのである。かつての人口宮水の試みと混同されたのであろうか。
 
 ところで、宮水の使用量が減少しているのも数年前のある学会で一寸話題となり、これも事実である。造石数の変化や汲水制限なども主要因としてあるが、見落としてはいけないのは消費者の嗜好の変化である。以下、私見である。
 吟醸酒ブームから、売上量を伸ばしてた高級酒は冷酒で飲まれることが多くなり、どちらかといえばソフトなタイプの味が好まれるようになった。灘の多くの酒造メーカーは、宮水の採水量に制限があるため、深井戸から採取する水なども使用している(白鶴が「淡麗純米」において「六甲の自然水仕込み」と標榜していることなどからもおわかりいただけよう)が、米も融けやすく、発酵が進みやすい宮水で仕込まれた酒は、辛口に仕上げても「淡麗」ではないどっしりとした「濃醇辛口」となりやすく、燗をつけると味わい冴えるものの、冷や酒で飲むとどうしても味が重たく感じられる。そこで、タンクローリーで運搬する必要もない、自社の敷地から汲み上げることの出来る地下水の使用比率が増加するのも必然のなりゆきであろう。
 最近は、大手のパックの経済酒に「宮水使用」を謳っている事例も見受けられるが、安い酒に付加価値を付けるために「宮水」を使用するのは止めて欲しい。宮水が、泣いている。灘の酒造家には、もう一度宮水の価値を考え直し、そしてその「天与の名水」を活かした酒造りに臨んでほしい。(次回、最終回)
 
 
【馬や鹿くらいならば理解できるだろうが、蝶などの昆虫類では理解できないかもしれない、宮水の話 そのD】
 
 毎年10月の第一土曜・日曜日に、西宮神社を中心に「西宮酒ぐらルネサンス」なるイベントが開催される。一度でも足を運んだ方ならばご存知と思われるが、メイン会場の西宮神社に「宮水コーナー」が開設され、質問をすると宮水についていろいろ解説していただける。ブースで解説するのは「ミスター宮水」として知られる済川要先生(灘五郷酒造組合水資源部会顧問)と、ご子息の健先生。お二人ともきわめて多忙な方(月間ではなく、年間で休日が数日というレベル)で、なかなかまとまった時間をとってお話をうかがう機会はないのだが、宮水祭りの時だけは別である。ここ数年、いろいろ貴重なお話をうかがったが、この項目の執筆のために、先日(8日)にいろいろなお話をうかがってきた。まずはその際に新たにいただいた資料(済川先生、私のような青二才相手にいつもありがとうございます)などをもとに、これまで触れそこねていた話や、具体的な事例を紹介したい。
 地下水位が極めて淺い不圧地下水の場合、近隣地区でのちょっとした工事でも、地下水に影響が出てしまう。宮水の場合、単独ではなく、複数の伏流水の影響下にあるので、酒造期間中にはなるべく工事を行わないよう要請がされてきている。
 震災後は、周辺地域で高層建築、及びライフラインの工事が行われたが、工事や工事に伴う揚水で、帯水層が傷つかぬよう、灘五郷酒造組合では毎月1〜3回、一回あたり10数件に及ぶまでの建築工事について、行政の協力を得て業者と交渉し、地下水の現状保存、あるいは伏水の流量を保証するような特殊な工法の採用を依頼するなどの対策を講じ、宮水の安全確保に務めた。こうした依頼はコスト面の問題もあり、なかなか応じてもらえるか難しいのだが、震災直後に井戸を保有する各酒造会社が、断水して困っている周辺住民に生活用水として積極的に提供し、地元に貢献したからこそ応じてもらえたのであろう。ところで、特殊な工法について、解説が必要だと思われるので、その点についてごくおおまかに触れることにする。
 大がかりな工事の事例として、1997年頃の阪神電鉄の高架化工事や、2002年から5年にかけて行われた、兵庫県立芸術文化センターの工事などがある。こうした工事の場合、地下構造物による遮水面積が出来るだけ少なくなるように構造形式を変更する。そして地下水の流下方向に沿って通水パイプや砕石による通水路を整備する(水脈の確保)。また、工事の際に地下水が湧き出ると、それを汲まねばならないが、汲んでしまうと下流に影響が出る(西宮北口で揚水すると、宮水地帯を越えて下流の西宮港まで影響が出てしまう)ので、工事に関連する揚水を最小限に抑えるため、基礎工事の際に、遮水用の鋼矢板を打ち込む(工事後には撤去する)。さらに、工事中は、工事の影響の有無を確認するために、周囲にはりめぐらされた観測井戸を監視し、地下水中のラドン濃度などの希元素の連続測定などを行う。さらに工事終了時には連続揚水実験などを行い、工事前と後の状態についての確認をする。
 宮水保護のために、普通の地域の工事とは異なり、これだけのことがされているのである。ただ、最近は発掘作業のあとに、掘ったところの土砂を帯水層の構造など気にかけず、一気に埋めてしまう乱暴な工事(予算を削って下請けにまかすとしばしいい加減な工事がされてしまうらしい)などがあり、そうした処理がなされると、透水性がかなり異なるので、今後影響が出るのか心配されているそうである。余談ながら、阪神電鉄の工事については、1997年12月28日の全国版朝刊にて触れられているので、興味のある方は調べていただきたい。
 
 まだいろいろ書き足りないことはあるが、ともかく、宮水は今も生きているのであり、宮水が使われていないというのはほとんど根拠のない風説である(そういえば、先頃他界したアル中先生も、なにかたわけたことを述べていた記憶あり)。そうした風説が流れたことにより、復興を目指した灘の中小の蔵の足をどれだけ引っ張ったか。宮水が使用不能などという戯言をうっかり信じていた方は、よく考えていただきたい。また、灘の酒造家は、もっと宮水を大切にしてほしい。宮水をベースにした男酒の燗が、日本酒復興のキーワードの一つになると確信している今日この頃である。
 最後になるが、昭和57年に出た「酒の町西宮」という本の、済川要先生の論文『西宮の水 「宮水」について』の一節「宮水と私」から、抜粋して紹介したい。今一度念を押したいが、この文章が、昭和57年に記され、そして大切に管理されていた「宮水」が、阪神の震災の際にどのように利用されたか。今一度思いかえしていただければ幸いである。
 
 
宮水と私
過去の歴史を振り返るとき、表六甲では、浅い良い水(井戸)を求めて人々が集まり、(おもに海辺に住みつき)そこにささやかな生活が始まった。そして小さい集落から西宮町に発展していった。ところが、上水道が完備すると、この数十年間に住居が山手に移り、かつてあれほど大切にしていた井戸は顧みられなくなった。しかし、ひとたび、大地震でもあれば、たちまち、われわれは水なしの生活を余儀なくされる。停電はもちろんのこと、水道管は断ち切られ、まず、市民は水を求めてさまようだろう。しかし、「流れる水は活きている。」というが、地下防火用貯水池と違って、常に維持管理された淺い宮水井戸群は、揚水すればそのまま飲用できる。いつの日か、数十万人の市民の命を助けることになると信じているものである。
 
 
 (この項 了 なお、この小文は、数年にわたり、宮水に関してご教示いただいた済川要、済川健両先生、そして済川先生と引き合わせていただいた上に、いろいろと資料を提供していただいた田岡春夫さんの助力なくしてはまとめることは出来なかったことを付記しておきたい)
 
 
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